【お知らせ】 松山百点 『私のつれづれ松山論』  樋口建史君
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『私のつれづれ松山論』  樋口建史
松山百点
私のつれづれ松山論
私のつれづれ松山論

ヤンゴンで想う松山
樋口建史

 2月のヤンゴンは、乾季の真っ只中で最も
快適な時季です。さすがに日中は30度前後に
なりますが、夜は肌寒いくらいです。松山で
は、そろそろ梅の蕾がふくらみ始める頃で
しょうか。
 この時季、大使公館の庭のマンゴーも、いっ
ぱいの花を咲かせ実を結ぼうとしています。
1年を通して珍しい果物も食卓に上ります
が、柑橘王国の出身としては、やはり蜜柑
が恋しく思い出されます。昨年暮れに帰省し
た際には”紅まどんな”を堪能し、ふるさとを
満喫することができました。風土のまるで異
なる他郷にすんていると、故郷への想いは、
いや増すような気がします。
 ところで、1月17日、ヤンゴン国際マラソン
に参加しました。スタートは、日中の暑さを
避け夜明け前の5時です。暗闇の中を、英国
植民統治時代の重厚な建造物が立ち並ぶ旧
市街に差し掛かると、ダウンタウン中央に聳
える黄金のスー・レー・パゴダが見えてき
ます。視界にその偉容を捉えた時にはふと、
松山城の天守閣を仰ぎ見た時のような感覚
が脳裏をよぎりました。また、先日日本の技
術支援で運行開始したばかりの路面電車の
軌道に沿ってストランド通りを走っている
時には、一番町を運行する坊っちゃん列車を
夢想しました。そうして42.195キロを完
走する頃にはすっかり日が高く、街は活気に
満ちた賑わいを見せていました。タイムは自己
最高の3時間59分でした。
 その翌週、愛媛県から中村知事の官民ミッション
80名が来緬され、ヤンゴン日本人墓地で”陽光桜”を
植樹されました。愛媛生まれの桜が爛漫と咲いた景
色を眺めてみたいと、今から楽しみにしています。

樋口建史 在ミャンマー大使館 特命全権大使
1953年、愛媛県松山市生まれ。潮見小学校、愛光中学・高校、東京大
学法学部卒業。1978年、警察庁に入庁。警察庁で薬物対策課長、
刑事企画課長、生活安全局長など、警視庁で外事第一課長、公安総
務課長、副総監などを歴任、和歌山県と北海道では警察本部長を
務めた。その間、英国でCitisen's Advice Bureauを調査研究。ハー
バード大学[日米プログラム]で客員研究員。2013年第89第警視総監を
最後に退官。2014年4月から在ミャンマー日本国大使。出身地を聞かれ
ると、誇らしげに「伊予松山」と答えるという。